マルク・クレポン(Marc Crepon)
1962年生まれ。哲学者。現在フランス国立科学研究 センター(CNRS)研究員の職にあり、ドイツ哲学の 研究を出発点として、言語に対する認識論的な観点か ら、哲学とナショナリズムの結節点に焦点をあてた研 究活動を続けている。とりわけ最近の関心は、ニーチ ェ、ローゼンツヴァイク、ハイデガー、ベンヤミン等 に注がれ、古典的なドイツ哲学のみならず、いわゆる フランス現代思想に関わる諸問題にも精通 した若手哲 学者として、デリダらとともにシンポジウムにも積極 的に参加している。主な著書、翻訳等の作品は以下の 通り。

 [著書]
・『文明の衝突という欺瞞
L'Imposture du Choc des Civilisations, Editions Pleins Feux, 2002.
(邦訳:副題「暴力の連鎖を断ち切る永久平和論への回路」、白石嘉治編訳/桑田禮彰・出口雅敏・M.クレポン付論、新評論、2004)
・『言葉の約束: ベンヤミン、ローゼンツヴァイク、ハイデガー』
Les promesses du langage, Benjamin, Rosenzweig, Heidegger, Vrin, 2001.
・『言語の悪しき霊_ニーチェ、ハイデガー、ローゼンツヴァイク』
Le malin genie des langues, Nietzsche, Heidegger, Rosenzweig, Vrin, 2000.
・『精神の地理学_ライプニッツからヘーゲルにいたる国民性付与に関する調書』
Les geographies de l’esprit. Enquete sur la caracterisation des peuples de Leibniz a Hegel, Payot, 1996.
・『言語、国民の源泉として_18-20世紀の中東部ヨーロッパにおける世俗的メシア信仰』(共著)
La langue, source de la nation. Messianismes seculiers en Europe centrale et orientale(du XVIIIe au XXe siecle), en collaboration avec Pierre Caussat et Dariusz Adamski, Mardaga, 1996.

[翻訳等]
・ローゼンツヴァイク『信と知_救済の星をめぐって』(共訳)
Rosenzweig, Foi et savoir, autour de l'Etoile de la Redemption, en collaboration avec Marc de Launay et Gerard Bensussan, presentation et traduction, Vrin, 2001.
・ライプニッツ『諸言語の調和』 Leibniz, L'Harmonie des langues, presentation, traduction et commentaire, Seuil, 2000.
・ニーチェ『若き日の自伝集 1856-1869』(付論「友情、読むこと、書くこと」)
Nietzsche, Ecrits autobiographiques de jeunesse 1856-1869, suivi d'ァun essai : Amitie, lecture et Ecriture, PUF, 1994.
・撰文集『哲学の鏡としての東洋_啓蒙哲学からドイツロマン主義における中国とインド』
L'Orient au miroir de la philosophie : la Chine et l'Inde, de la philosophie des Lumieres au romantisme allemande. Une anthologie, Presses-Pocket(Agora), 1993.
・ヘルダー『人類史の哲学考』(序文、註、参考資料編集)
Herder, Idee sur la philosophie de l'histoire de l'humanite, introduction, notes et dossier, Presses-Pocket(Agora), 1991.
(『文明の衝突という欺瞞』「編訳者あとがきに代えて」より)

 11月6日に行われるビデオ・コンフェランスは、私にとってまず何よりも、今年1月に東京に滞在した時に私が感じた喜びと感動を新たなものとし、再び見いだすことのできるこの上もない機会です。そしてまた、忘れがたい歓待をしていただいた日仏会館、上智大学、早稲田大学の友人たちの顔を再び見るという希望をかなえる機会でもあります。こういった再会のほかに、何よりもまず、ビジコンは共同性についての考察を分かち合う絶好の機会だと思っています。共同性、すなわち「私たち」ということ、それはここ15年ほど私が関心を抱き続けてきたことです。そしてこの「私たち」は、国境を越えなければ意味はないと思っていますし、さまざまな領域からやってくる、言い換えるなら世界に対する視線や世界の意味に対する疑問がそれぞれ異なっている研究者、先生、学生が協力して作り上げなければ意味はないと思っています。
 こういったことから、私を突き動かしているものは、アイデンティティの共有という問題であり、いかなる国家への帰属にも後退することのない「私たち」を、そしてまた「共同性」について単一のアイデンティティしか認めないような見方へと後退しない「私たち」を作り上げる問題なのです。そしてそれらを通して、私たちは正統性、純粋性、正統的起源といった幻想によって繋ぎ目を解かれた異質性としてのアイデンティティを再考することができるのです。
こういった問いを巡って日本側の話し相手と討議し、日本側からアイデンティティについての考察を聞き、日本側での「私たち」にかかわる自分たちの経験を聞くことができるのは、私にとっては非常に重要なことだと思っています。
パリ、2004年10月17日、M・クレポン

マルク・クレポン
& ベルナール・スティグレール
 2005.06.04

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AVEC AZUMA HIROKI
2008.02.15 - -   INFORMATIONS